2014年6月2日月曜日

飛騨高山ウルトラ断念

同室の患者さんは、耳の遠い方だった。
「どうしたんですか?」
「・・・・・・・・」
「どうしましたか?」と大声で
「○○さんは?」
「今日は、私がお世話します。」
「何?」
「○○さんは、お休み ××がお世話します。」
「補聴器出して」
「どこにあるんですか?」
「えっ?」
「 補聴器はどこにあるんですか?」
「○○さん、知っとる」
「・・・・・・・・」

最初は、漫才聞いているようで面白かったが・・・・
二日目の夜

「どうしたんですか?」
「ケツが痛い」
「じゃ、あっち向いて」

「かちん、かちんだわ これじゃ痛いわ」
「三日間出とらん 苦しいわ」
「ほじろうか」
「そうしてくれ」

二人の看護婦さんで作業してる。
{あっ、血が出た!}
{この位でいいんじゃない}

「だいぶ、とれたよ」
「楽になった」

しばらくして
「どうしたんですか?」
「ケツが痛い 痔の薬入れてくれ」
「じゃ、あっち向いて」


「おしっこ、出て無いね」
「でとらんけ?」
「○リーター飲んでいるから出さんと」
「したくない」

「あれすんが、絶対いやだ」
「自分で出せんがだったら、仕方ないよ」
「いやだ、どんな痛いか知っとんがか」
「じゃ、しばらく様子みましょうか」


「よかったね、少し出とるわ」
「そうか」
「もうちょっと出そうね」

1時間毎に大声で起こされる。
食事も、いやになった。味音痴な私がご飯が不味く感じる。

4人部屋で、入ってくるのは、老人ばっかり 会話も出来ない。
よく考えたら、自分も老人の部類だった。

1週間入院予定だったが、点滴がとれた日から 回診の度、退院を訴えた。

5月31日 予定より早く退院

6月8日の飛騨高山ウルトラは、ゲロガエルに影になってもらった。
この大会を目指し時間を掛けて積み上げたものが一瞬にして崩壊した。
8月の富士登山マラニックもヤバい。



2014年6月1日日曜日

日焼け

人には一度は通らないといけない、避ける事の出来ない道のようなものがある。例えば誰しも恋をする事がある。それは楽しい事もあるけれど、総じて苦しい事の方が多いのかもしれない。
恋は常に成就するとは限らない。失恋だってあるだろうし片思いだってあるに違いない。或いは相思相愛であっても実らぬ恋だってあるだろう。
苦しみを逃れるならば恋などしなければ良いのだが、そうはいかないのが人間である。
人の死だって同じようなものかもしれない。生けとし生きるものは必ず死を迎える。この世に生命のあるところ滅びぬものなど存在しないからだ。死は悲しい。
だからといって死を悲しむのが嫌だから、自分が先に死にたい等とは誰しも思わないに違いない。それは一度は通るべき道、入院のようなものかもしれない。

高校の時、友人が盲腸炎になった。仲間と見舞いに行った。彼は見るも無惨な程落ち込んでいた。どうした?って聞くと彼は泣きそうな顔で黙して語らなかった。
盲腸炎と言えばよく聞くのが手術前には下半身の毛を剃るという話だ。若い看護婦に下半身を露わにして毛を剃られる等というのは、若い男にとっては耐え難い屈辱に違いない。
しかし、いくら恥ずかしいとは言えど、盲腸炎である。仕方のない事だ。そこまで落ち込む事はなかろうに…と思った。だが彼の話を聞くとうなずけるものがあった。
そこの病院では院長が看護婦をみんな従えて検診にまわるのだそうだ。若き男の彼にとっては耐え難い屈辱であったに違いない。しかも後ろの方にいた準看護婦がこう叫んだそうである。

私にも見せて!

この言葉が彼をぐさりと傷つけた。経験の浅い准看護婦に純朴な高校生の胸の痛みなど理解出来なかったのだろう。気の毒な位に落ち込んだ彼を励ます言葉を持たなかった当時の私であった。
だが、人間というのは忘却という武器がある。どんなに死ぬほど恥ずかしい事でも時の経過と共に色あせていくのである。中年ともなればそんな心の傷はどうでもよくなる。
いやそれどころか時として人と言うものは大きく変貌していく。中年ともなると若い看護婦に下半身を露わにされるのは、この上もない喜びだという人が少なくないに違いない。

点滴のチューブがついているので着替えを手伝ってもらった。熱いタオルで身体を拭いてくれる。「気持ち~いい!」
いきなり、ズボンを下げられた、次にパンツも・・・・
「ワァ!真っ黒」

よくよく考えると全くもって幸運というしかない・・・・。